「海は自分のルーツ。ー 独自の音楽を生み出す、その源泉とは。」Michael Kaneko x KOKUA

「海は自分のルーツ。ー 独自の音楽を生み出す、その源泉とは。」Michael Kaneko x KOKUA

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ジャズやヒップホップ、ソウルにフォークとジャンルを超えてオルタナティブの音楽を生み出すシンガーソングライター、マイケルカネコ。その澄んだ歌声とどこか哀愁を感じるメロディが、心の琴線を心地よく刺激する。才能あふれるソングライティングとパフォーマンスに多くのファンを魅了し、ライブはもとよりラジオ番組のパーソナリティ、他のミュージシャンとのコラボ、CMや映画への楽曲提供と、活動の領域を広げ続けている。

その都会的なセンスあふれるアーバンな歌声に耳を傾けていると意外に思うが、マイケルと「海」とのかかわりは深い。ファンにはご存知の通り、マイケルは金子ケニーの実弟だ。そして、父親がオーシャンパドラーの金子デュークという家族構成からも察せられるだろう。湘南・茅ヶ崎から3歳で家族とともにカリフォルニアへ移住。幼少・少年期の多感な時期をアメリカ西海岸で過ごした。兄と同じようにサッカーのプロ選手を目指していたが、夏休みの2ヶ月は地元のビーチのジュニア・ライフガードに参加して海に囲まれた暮らしを送っていた。

さらに14歳で帰国して茅ヶ崎に戻ってからは、サーフィンやカヌーを楽しむように。大学時代にはモロカイ島横断レースにもカヌーで挑戦するまでに入れ込んだ。卒業してからはしばらくの間、葉山にある実家で生活をするように。このように、マイケルの周りには、常に海があったのだ。

だが、その音楽から不思議と海の香りは色濃くない。

Michael Kaneko

「海は自分のルーツではあるんです。ただ、音楽をやっていて、それを自分のイメージにしたくない。もちろんジャック・ジョンソンとかあの辺のサーフ系の音楽は大好きだし、めちゃくちゃ格好いいと思っています。だけど、自分がジャック・ジョンソンになりたいとは思わない。もっと都会っぽいのも好きだし、東京が大好きだし……。いつかは戻るけど、そのイメージから離れて、活動しているというのはありますね」と、マイケルは語る。

マイケルが音楽を本格的に始めたのは、帰国をしてから。日本でもプロサッカー選手になることを夢見て、ジュニアチームに所属していたが、当時、日本語が未熟だったためカルチャーショックを受けてしまった。「サッカーを辞めると母親に相談したところ、何かをやった方がいい。と、ちょっとかじっていたギターのレッスンをすすめられたんです」。元々、音楽が好きだったこともあり、自宅にあった兄のギターを手にしたりもしていた。

その後、インターナショナルスクールの高校時代は仲間とジャズバンドを組み、ギター教室にも通うように。当時のインストラクターの影響で、ブルースやフュージョンにはまり、ジミー・ヘンドリックスやエリック・クラプトンなど60年代、70年代の音楽に傾倒していった。大学に進学してから、自分で作詞・作曲も手がけるように。4年生で卒業後の進路を見すえた時に、プロのミュージシャンを目指すことを決意した。ライブ活動に力を入れようと、渋谷や六本木のオープンマイクで人前で積極的に歌うようになった。

Michael Kaneko performing

当時より、マイケルの中でずっとブレないことがある。「東京に住んでいると、自分のブランディングを『海』として、すごくがんばっているミュージシャンがたくさんいるんですよ。リアルな人からしたら、ちょっとカッコ良くないのでは、と。ファッションにしても、湘南や海の近くに住んでいる人は、がんばって海パンを毎日はいているわけではない。それが楽だから。やっていることが自然じゃないですか。『海?別に』みたいなかかわり方をしたいんですよね、自分は」

海にアイデンティティがあるからこそ、あえてそれを自分のブランディングにしない。いや、海だけではない。自分の音楽をとことん追求しないと納得がいかないのだ。卒業後、大手のレコード会社から声がかかることもあったが、相手が求めるのは「J-POPのように」というリクエスト。音楽性の違いから、首を横に振り続けてきた。ようやく、お互いの価値観が一致する音楽事務所と出合い、26歳でデビューして音楽一本で暮らせるようになった。

現在は東京で暮らしているマイケルだが、海ともマイペースに付き合っている。ケニーがSUPを始めたタイミングで、マイケルもSUPをするように。「SUPが家にあったから」というごく自然の理由で楽しむようになった。「カヌーは重いし運ぶのも片付けるのが大変です。SUPは気軽にパッと海に入れるのがいいですね」と笑う。

Michael Kaneko SUP

「今年はまだ葉山に何度かしか帰れていませんが、やっぱり久しぶりにSUPをすると、リフレッシュできますよね。ずっと都内にいて仕事をやっていたら、その世界に入りすぎてしまう自分がいて。普段東京で制作していると、スタジオの中に引きこもりなんです。ずっと楽器とパソコンと向き合っていると、ちょっと精神的に参ってしまう。そういう時は海でSUPを漕ぐようにしています」

直接、海やSUPから音楽のインスピレーションを受けることはないというが、クリエイションにいい影響を与えていることは間違いない。

「直接、『これは海にインスパイアされた』、『海に入ったから、この曲が書ける』とかはあまりないんですけど、後で何かそういうのって出てくる気はして…」と語るマイケルだが、ふと思い出したように口にする。「でも、どれだけアーバンっぽい音楽をつくっても、『やっぱり、ちょっと海の匂いがするね』とか『西海岸っぽいね』、『海のドライブに合いそう』と言われることもあるんですよ。自分のちょっとしたメロディとかコード進行に、割とそういう影響はあるかもしれないですね」と、ほほ笑む。

海と自然に向き合い、そこで時間を費やしてきたマイケルカネコだからこそ、生まれる音楽。今度、それを意識して、彼の音楽に耳を傾けてみると、新しいフィーリングを味わえるかもしれない。

Michael Kaneko portrait


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