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2015年、当時25歳のときにSUPに出会い、プロの道に足を踏み入れた金子ケニー。日本人SUPアスリートの先駆者として、全日本大会優勝や、世界大会日本人初入賞など、数々の功績を残してきた。
そんな彼は今、人生の第二章を迎えている。アスリートとして、結果を追求してきた日々に一旦終止符を打った。SUPブランドKOKUAを立ち上げ、自然のすばらしさを伝える活動に取り組んでいるのだ。
「レースに100%を注いできた」と言い切る彼がこの決断をした背景は何なのか、今の思い、今後のビジョンなどを聞いてみた。
パンデミックを通して気づいた、経験を伝える重要性。
「SUPコンペティターとしてのキャリアから一歩離れます」
自身のSNSでレースを離れることを宣言したのは2021年10月のこと。日本人SUPアスリートとして活躍した約6年を彼はこのように振りかえる。
「誰よりも速く漕ぐこと、結果を残すことをひたすらに追い求めていました。レースが第一で、その他はすべて二の次。家族との時間さえ疎かにしていました。自分にとって、勝つことが何よりも重要だったんです。」
約6年の競技生活の中で、2019年は今までで一番いい仕上がりだったという。ずっと目標としていたモロカイ世界大会では表彰台にあがることができた。それまで積み重ねてきたものがやっと形になったと実感できた年だった。

2020年はどうさらに上を目指すか、高いモチベーションで新たなシーズンを迎えたのも束の間、コロナウイルスのパンデミックが生活を一変させる。
行動制限がかかり、彼がメインで活動してきた国内外のレースは軒並み中止になった。それまでとは全く異なる日々を送らざるをえない中、ある葛藤をいだいたという。
「大会が中止になり、評価される場所がなくなりました。レースで結果をのこせているからこそみんな僕のことを知ってくれているし、スポンサーもいる。競う場がなくなったときに、自分の存在意義って何なのか、考えるようになったんです。」
レースを失った自分に何が残っているのか。行き場のない思いを抱えながら日々を過ごした。大会が行われない以上、競うことに注力するのは、生きるうえでなんのプラスにもならないとさえ感じた。「自分が今までやってきたことは一体何だったんだろう……」と、ひどく落ちこんだこともあったそうだ。
一方で、生きるうえで必要不可欠なものは何かを考えたとき、自然と、農業や漁業といった「食」に関わる分野が頭に浮かんだ。

必要不可欠なものを作り出すことで自身の無力さを補うかのように、彼自身も釣りをしたり、農業のボランティアに挑戦。この試みは、彼にある気づきをもたらしたという。
「自分の経験を伝え、より多くの人にSUPのすばらしさを体験してもらうこと。それが、世の中で必要とされていることでもあり、今の僕にできることではないかと思いました。
農業を少し手伝い新たな視点が得られるように、経験することで世界は広がります。
競って1番になることよりも、自分の経験を色んな人に伝えて、他の業界や周囲の人たちにいい影響を与えられるほうがいいな、と思うようになったんです。」
経験は、記憶に残り、人生を楽しむために必要不可欠だ。コロナ禍で得た気づきが彼の新たな挑戦を生む。金子ケニーがデザインから携わるSUPブランド「KOKUA」の立ち上げだ。
「より多くの人に、SUPや海のすばらしさ、自然に身を置くすばらしさを経験してほしいと思いました。 自分がコンペティターとして今まで得た経験や知識を100%表現できるようなブランドがあれば、SUPの普及に寄与できると思ったんです。」

KOKUAを通じて、より多くの人にSUPを知ってもらい、SUPを楽しめる環境を作ること。それが、自分が今できることだと感じたという。
また、アスリート時代から感じていた「日本人の体形に合ったボードを作りたい」という思いも、ブランドの立ち上げを後押しした。
「SUPの製品は海外ブランドが主流で、体格の大きい外国人向けに作られた製品がほとんどです。
レースに注力していた時からずっと、日本人の体形に合ったボードが少ないことにもどかしさを感じていて。日本のニーズやマーケットにマッチしたプロダクトを作りたいと考えていました。」
日本から世界基準のSUPブランドを誕生させたいと思った。プロダクトにはこだわりが多くつまっている。
「日本のテイストに合わせるだけでなく、僕自身が、このボードさえあればSUPを十分に楽しめる、と納得できるプロダクトを作りたいと思いました。
高品質で安全なプロダクトであることはもちろん、デザインにもこだわっています。アスリートでも、そうでない人も、かっこいい、KOKUAのボードでなら海に出たい、と思えるものでないと、普及しないと思うので。」
コロナ禍での大会中止、ブランドの立ち上げ、競技者としてレースに出場し続けていた時から、さまざまな変化があった。パンデミックはマイナスの面を語られることも多いが、彼にとってはターニングポイントになったという。
「レースで目標の順位に達しなかったとき、世界が終わったんじゃないかと思うほど、毎回どん底に落ちていました。それほどレースに賭けていて、勝敗で自分の価値を左右される日々を送っていたんです。
けれど、パンデミックを経て、自分の勝敗を追求するよりも、自分の経験を伝えたいという思いが強くなった。経験を伝えることで、次世代をつくる人たちの成長や業界の発展をサポートしたい、という気持ちが今は大きいですね。」

日々の過ごし方においても、パンデミックは彼の分岐点になった。競技に費やしていた時間を、家族や遊びにも費やすようライフスタイルを変えたのである。「Life is balance」彼はこの言葉が好きだと語る。
「競技者のときは、人生の半分以上をレースで勝つことに注いできました。しかし、今は自分のライフバランスをwork(仕事)に3割、play(遊び)に3割、love(家族)に3割、残りの1割を3つの足りない部分に足していく形に変えたんです。
昔みたいに結果を追って生活していないので、漕ぐことを純粋に楽しめますし、家族と過ごす時間も増えました。」
毎日漕いでいる。それは今も昔も変わらない。
ブランドの立ち上げに忙しくなり、また、彼の人生に3つの軸ができたことにより、自然とレースからは離れていった。2021年に入り、コロナが落ち着き世界中で大会が再開する中、国内外の大会から声がかかることもあったが、今の自分は100%をレースに費やしているわけではないと伝える必要があると感じた。
そして、2021年10月、自身のSNSでプロアスリートとしてのキャリアから一歩離れることを宣言。SUPレースを牽引してきた彼のこの宣言は、またたくまに広まった。

金子ケニー現役引退とメディアに取り上げられもしたが、彼自身は引退という表現についてこう語る。
「僕は引退という言葉はあまり好きではないんです。というのも、漕ぐことから離れることはなく、今も毎日漕いでいるんですよね。
他のプロスポーツだとそうはいかないかもしれません。例えば、野球選手は引退したらスタジアムで試合をする環境はなくなりますよね?でもSUPのすばらしさって、これまでと変わらず、同じように海と向き合えること。生涯スポーツだと思います。
今も漕いでいる分、いつでも競技に戻れると思っていますし、出たいレースには出る予定です。僕は毎日漕ぎに出ているので、ブランクはそんなにないですから。」
恩返しがしたい。自然を守り、次世代に繋げていく。
日本人に合うブランドを作りたい、漕ぐことのすばらしさを経験してほしい、そんな思いをもって始めたKOKUA。

デザインはすべて彼が手掛け、SUPアスリートとして培った経験をもとに、自分が本当に欲しいと思える製品づくりを心がけている。KOKUAをブランド名にした理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「大学生の時、仲間3人でアウトリガーカヌーを始めました。カヌーをしている人はクラブに所属している人が多いのですが、縄張り意識のようなものがあり、同じクラブに所属していない人とは仲間になれないような雰囲気があったんです。
でも僕たちは、所属に縛られるってどうなんだろう?と疑問を感じました。属す属さない関係なく、色んな人と素晴らしい海を漕ぐことを分かち合えたらいい、そんなチームを作りたいと思い、始めたのがチームKOKUAという団体です。」
KOKUAはハワイでよく使われている言葉だ。「助け合う、リスペクトする、与える」などの意味を持つ。KOKUAという言葉が彼らの思いとマッチしていた。

「チームKOKUAは、大人になるにつれて活動しなくなったけれど、SUPブランドを立ち上げるとき、SUP業界でもあのときのチームKOKUAのような存在になってほしいと思いました。自分の発信したいものをただ発信するだけではなく、関わる人やコミュニティをリスペクトし、助け合えるブランドにしていきたいと思ったんです。」
作りたいものを作り、届けたいものを届けるだけでなく、関わる人に良い影響を与えていける存在になってほしいという思いからKOKUAは生まれた。「KOKUAは、10年以上ずっと大切にしている言葉だ」と語る。思い入れのある言葉を自身のブランドに名付けた彼は、KOKUAを通してどんなビジョンを描いているのか。
「今の自分があるのは、SUPやカヌー、そして海のおかげだと思っています。だから恩返しといった意味でも、環境保全の取り組みに力を入れたいです。
環境を守ろうといくら言葉で伝えても、なかなか行動に移す人は少ないのが現状です。環境保全の活動を自発的にしてもらうには、海をはじめ自然のすばらしさを経験してもらうことが一番の近道だと思っています。
自然って素晴らしい、守りたいと思ってもらえれば、ペットボトルは買わないですし、ごみを拾うなどの行動が自然とできますよね。
だからこそ、多くの人をSUPに呼び込み、自然のすばらしさを実際に感じてもらうことが重要だと思うんです。
あとは、環境保全に関わるプロダクトの開発や、ビーチクリーンをはじめとした環境イベントの開催なども考えています。」
自然に身を置くすばらしさを感じてほしい。恩返しがしたい。インタビュー中、彼が何度も口にした言葉だ。彼が感じる「すばらしさ」とは具体的にどういうことなのだろうか。
「普段、僕たちは、人や車、建物などに囲まれて生活しています。360度見渡して、自分以外何にもない場所にいることはほとんどないのではないでしょうか。
でも沖に出ると、自分を囲むものは何ひとつない。雑音が消え、大自然の中に、自分がいるだけなんです。その場にいると、日々のタスクや金子ケニーという肩書から解放され、ただの自分に戻れるような感覚があります。悩みがあっても、なんてちっぽけなことなんだろうと気付かされるほどです。
そして、風と波、魚と鳥、何千年も変わっていない景色を体感できる。こんな経験ができるものってそうそうないと思います。」
しがらみから解放され、ただの自分に戻れる場所があることで救われる人は多くいるはずだ。そのツールとして手にしやすいものがSUPだと思うと続けた。
「海だけでなく、湖、川など、SUPができる環境はたくさんあります。
ぜひ多くの人にSUPの魅力を味わってもらいたいですね。なんてすばらしいんだろうと思ってもらえるはずなので。」

環境保全活動に加え、次世代パドラーの育成にも力を入れたいと話す。
その一環として、今年の春、子供たちを対象にしたSUPイベントをプロデュースした。レースをはじめ、カヌー体験や海洋プラスチック問題に関するアクティビティなど、子供たちが楽しめるコンテンツをたくさん用意したイベントだ。
「子供たちに、勝敗ではなく、仲間と漕ぐ楽しさ、すばらしさを味わってほしい、環境問題に関心を抱くきっかけになってほしい、と思い、企画しました。イベントでの体験が、新しい気づきを得るきっかけになれば嬉しいですし、周りに広がっていってほしいなとも思っています。
次世代を担う子供たちに向けたイベントは今後も定期的に開催していきたいです。」
嘘をつきたくない、その背中を見せたい
「KOKUAを立ち上げようと思ったもうひとつの理由は、自分で自分の道を選択できるようになりたかったからなんです。」
KOKUAを立ち上げた背景には、自分の現状を変えたいという思いもあったようだ。
「競技者のときはスポンサーに支えられていました。スポンサーのおかげで活動できていたのは言うまでもないですが、自分の意志に反することを求められる場合も少なからずあります。
正直、スポンサーありきの自分にもどかしさはずっと感じていて。自分のやりたいことをやりたいし、伝えたいことは自分が思い描く形で発信したい。やっぱり、僕は、自分の気持ちには嘘をつきたくなかったんです。自分で自分のデスティニー(目的地)を選択できるようになりたかった。
ブランドを大きく成長させることができれば、嘘のない自分でいられると思っています。そのために、これからも毎日海に出て、自分の経験を伝えつづけていきたいです。」

アスリートとして、人生の第一章を終えた金子ケニー。レースに100%を注いできたと語る彼は今、経験を伝えること、そして、SUPや自然環境に恩返しをすることに使命感をもち、活動している。
活動の背景には、「自分の気持ちに嘘をつきたくない」「鏡を見たときに恥じない姿でいたい」という行動指針がある。アスリート時代、数々の功績を残した背景には、彼のこの強い思いが隠されているのかもしれない。
パドラーとしての第二章で、どんな活躍を見せてくれるのか、期待をよせたい。